いまさらなのですが、
ドキュメンタリー映画「天のしずく 辰巳芳子のいのちのスープ」を観ました
母からもずいぶん前から観るといいよと、勧められていたのですが
なかなか時間がなく、こうしてコロナ禍のなか、
今がちょうど、 私が観るタイミングだったんだなぁと
腹落ちする内容でした
もしご存知ない方で、
ぜひご覧になるといいかと思い ます
いのちのスープとは、 辰巳芳子さんが
病床のお父さんに作ったスープがもとになり
食欲のない人や最期にある人への、
それだけでなくて、
食物は天のめぐみであり、 いのちをいただいて、
私たちはいのちを維持させていること、
食べることや生きること、
スープであるこ とがわかりました
仕事をしながら家事や炊事をする私は、
よく母から「あなたの料理は乱暴。
「うるせえなー、専業主婦が生き残れる暇な時代じゃねーんだよ」 と
反発していたのですが
母が言いたかったのは
そういうことじゃなかったんだなぁと分かり ました
これは何も料理の話ではなく、
ビジネスや行政、医療、教育、 全ての人間を支える分野にも
必要な視点だと思いました
合理化、スピード化が、
コロナという、 人類が最先端技術や英知を持ってしても
克服できない現状にあって も
毎日のこまめな手洗い、消毒、換気、マスクなど、
予防することができ ることに似ている気がしました
栄養補給には、 オーガニックな野菜を使って
機械的にジュースにされたものを、
毎日飲み続ける方が合理的で意味があると思うのですが
たとえスーパーで買った野菜であっても、
いちばん美味しい食べ方と、
食べる人が喜ぶことを考えて、
いのちをリレーして、
それをいただく人を励まし、癒し、 喜びを与え、
いのちのリレーとなって、 その人のエネルギーになるのです
合理化やスピード化は、そのことを支える道具であって、
人類も私も愚かなことにそのことに気がつかず
早く解決することばかり追い求めてしまい
なぜ解決したいのか、
疎かにしていたような 気がします
それから映画の中で、お若い頃から
長崎の島にあるハンセン病の治療所で暮らす80代の 女性が
同じくそこで暮らしていた友人の女性の末期に
いのちのスープを作 ったエピソードを辰巳芳子さんにお礼のお手紙を送り
辰巳芳子さんがそのことに心を寄せて、
そのシーンがとても美しく心に残りました
病気や戦争、さまざまな重い宿命に翻弄され、
「80歳になって、 生きている意味がようやくわかるようになった。
「私もそう、本当にお互いに生きていてよかったわね」 と
笑い合うところに、とても感動しました
私なんて大した苦労もなく、
お二人に比べたら味気ない人生ですが
もし、お二人が見ている景色が見れるなら
80歳まで元気にコツコツ生き たいなぁと憧れました
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