山崎豊子展に行ってきました



>追悼 山崎豊子展 ~不屈の取材、情熱の作家人生~ 入場料〈税込〉一般800円、大学・高校生600円、中学生以下無料 ※価格は消費税を含む総額にて表示しております。※「障害者手帳」をご提示いただいたご本人様ならびに、ご同伴者1名様まで入場無料とさせていただきます。 主催=NHKプロモーション(日本橋、横浜) /NHKプラネット近畿(京都、大阪) 特別協力=毎日新聞社 協力=新潮社、文藝春秋 監修=山崎豊子文化財団


山崎豊子さんは、「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」などのドラマで有名な女流作家です。



これらドラマや作品は知っていましたが

作家の山崎豊子さんのことは知らないことだらけで
展示会ではいろいろな発見があり、涙がウルウルしてきて感動しました。

山崎豊子さんって、結婚されてたんですね!

てっきり独身で仕事命なのかと、私は勝手に思い込んでました。

新聞社時代の同僚の方と恋愛結婚をされておられました。

しかも、パリで二人っきりで結婚式をあげたり、
二人でセーヌ河で船に乗っていたり、すごく幸せそうで

「スゲえな、海外挙式のさきがけだわ」、と思いました。

その時の記事にこんな言葉がありました。

「仕事と、友愛と、夫婦愛で結ばれた私たちは、これからも変わらず…

さらにスゲえ!
うちの両親より世代が前なのに、
こんなに自律した対等な夫婦愛を確立してたなんて!
超クールな女子だわ♡

この方は、ご出身が大阪・船場の老舗の昆布屋さんのお嬢さんなのです。

そしてデビュー作は、ご実家のことを書かれたそうです。

そんな若き新聞社員の山崎豊子さんを指導し、励ましたのが、
新聞社での上司である井上靖さんでした。

井上靖さんからのお手紙が飾ってありましたが

「これからが作家として本当の楽しさと苦しみが待っている
(新聞記者から作家へと渡った)橋は燃えて無くなったのだから
ここからは覚悟して頑張るしかない」
と厳しく励ましながらも

「あなたにもらったペンで手紙を書いている」
と思いやりと愛情に溢れていて

井上靖さんって、他にも司馬遼太郎さんなども育てていて
作家としても、それ以上に兄貴分としても、
すごい人だったんだなぁ、と思いました。

社会に出てから、尊敬できる先輩やアニキに出会える
可愛がってもらえるって、とても大きいですよね。

私もお世話になりっぱなしのアニキ達のことを思い浮かべました。

また、展示会では作品を年代ごとに振りかえることで
山崎豊子さんの小説家としての転換点がよく見えてきました。

まずスタートは、大阪が舞台の小説で足場を組んで
そこから、不毛地帯や大地の子といった戦争をテーマにした作品へと飛翔します。

この転換がすごく大きいのですが
そこには山崎豊子さんが味わった戦争への想いが強くあるのが分かりました。

その当時の日記が公開されてました。

実家が焼けて無くなる瞬間のこと、食べるものがないツラさ、
学校には通えず戦時工場での作業、そこでの理不尽な暴力や悔しさ
好きな彼が戦争に出陣する切なさ…

「私はお嬢さんではもういられないんだ」と、決意するあたりなど
胸が締めつけられました。

戦争は絶対に、絶対にしたくないし、よくないし、世界から無くしたいと思いました。

そしてこのことは、豊子ちゃんの胸を大きく占めていて
大人になって作家として注目されて
ポジションを確立してから、ここぞと決意し、

戦争を起こしたバカな男たちと
それに翻弄された普通の人々の物語を描くようになるわけです。

しかし本当に今の時代も、昔も、
男たちというか、ジイさんにロクなのはいないですね。

加齢臭するわ、戦争好きだわ、自己中だわ、口臭するわ、そのことに気が付いてないし・・・
そんなジイさんだけは、税金2倍にしたほうがいいですね。

そして、私たち若者や女性は、そういうジイさんに依存してはいけないと思いました。

話をジイさんから山崎豊子さんに戻しますね。

そして、次に社会派大作に挑みます。

これが「白い巨塔」、「華麗なる一族」、「沈まぬ太陽」、「運命の人」など、
ドラマにもなっている作品群です。

たぶん山崎豊子さんが、戦争モノを書くにあたって取材し
いろいろな要因があって戦争に至ることを知り
悲劇はいつも人間が作ってきたこと
そして今の平和な日本でも、そのような悲劇につながる要因が
人間のこころにあることに危機感を持ち、

また先輩の井上靖さんや司馬遼太郎さんの歴史小説を読んで
あぁー、なんとこの世は非情で思い通りにはならない世界なんだろう
いつの時代も変わらず…

でも、それを条件として捉えて、どう生きるのか葛藤し
そこに向かっていく、弱くて正直な者の真心は、
いつも人のこころに響くなぁ

というようなことをお感じになり

先輩が過去に学ぶなら、私は現代や未来に警告を与えたい!

と、こういった社会派の作品に挑戦されたんだと勝手に推測いたしました。

しかし、まだ現存している人のことを暴露して書くわけですから
様々な脅しや、妨害もあったと思います。

それでも屈せず書いた信念には、感動しました。

それは頑強な強さではなく、しなやかな優しさが核にあったんだと思います。

被害者に対しても、加害者に対しても、豊かで優しい人間愛を持って
書かれたことが伝わってきました。

そして、こんなに頑張って使命に生きた豊子大先生なのに
70歳になり原因不明の難病になられるのです。

両足や手指が麻痺して激痛が繰り返されるなか、
それでも最後の最後まで執筆されるのです。

激痛の中、孤独な中にあっても、
人々を励まし、与え続けていたことは、全く知りませんでした。

神様はなんという試練を与えてくださるんだろう…

小説の主人公たち以上に、
作家本人のドラマチックな人生に圧倒されてしまいました。

まったく比べることはできませんが
私もこれからの人生をどう生きようかと考えていたので
今回、山崎豊子さんの生き方を知ることができたことは、
とても大きかったです。

生まれてきたら誰にでも、何かしら使命があります。

小さな未知なる種として生まれたとしても、
その使命を果たして生きた人は
花を咲かせ、最後に樹を残すんだと思いました。


コメント